1997年4月、諫早湾にギロチンが落とされ、広大な干潟は消えて行った。
取り残されたムツゴロウやハゼ、カニなど多くの干潟の底生生物は干からびて死に、
渡り鳥が羽を休めた湿地も消え、秋には真っ赤に染まっていた七面草も枯れた。
防災と農地拡大のため、微生物から渡り鳥まで様々な生態系が壊された。
約50年も前に計画されたこの干拓計画は、時代の流れによって幾度となく見直されてきた。
地域のためと思い、豊かな海の恵みによって生活をしてきた漁民は海を手放し、
生活していくためにかつて生活を支えてくれた海を埋める干拓工事に携わる。
が、昨今の有明海のノリ不作問題で工事は中止を余儀なくされ、再び生活の糧を奪われた。
自然がなくては生きていけない人間が自然を壊し、翻弄される多くの人々。
東京湾の三番瀬を始めこのような問題は全国にある。
農水省の開門調査にどれほどの意味があるのかはわからない。
どこに正しい道があるのかは私にはわからないが、
干からびて死んでいった多くの小さな命を思う時、ただ悲しい気持ちになる。


中央がその”潮受け堤防”で、右が締め切られた調整池、左奥は雲仙普賢岳。

堤防の外側、佐賀県に近い海
調整池と湾奥部の陸地化した部分
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諫早湾干拓