江田島
第一術科学校
大講堂

大正6年建造
入校式や卒業式などで
使うそうです。


教育参考館

昭和11年建造
東郷平八郎の遺髪、特攻隊員の
遺書などの歴史資料が展示され
ていて、個人的には将校の書が
印象的でした。内部撮影不可。
幹部候補生学校

明治26年建造
世界三大兵学校と言われた
旧海軍兵学校の旧生徒館。
赤レンガが目を引きます。


現在は海上自衛隊の
幹部候補生がここで
訓練を受けています。

昭和17年ガダルカナル島で
戦艦「金剛」「榛名」のどちらかが
実際に発射した砲弾

大東亜戦で活躍し
戦後は復員輸送にも従事した
駆逐艦「雪風」の主錨

←昭和16年11月20日
呉港を出港し、12月8日の真珠湾攻撃に参加した5隻の二人乗
り特殊潜航艇
うちの1隻。
昭和35年、米海軍により引き揚
げられ、ハワイから20年ぶりに
日本に戻ってきたそうです。

戦艦「大和」の主砲弾

戦艦「陸奥」の主砲塔

☆おまけ☆
瀬戸内海の静かな海と牡蛎棚
自衛隊っておもしろい。いろんな話を聞けば聞くほどこの組織は”神秘的”(^^)
もし男に生まれていたら大工か造船工か船乗りになりたかった私には、特に。
海自の知人が多いので今までもいろんな話を聞いてはいたけど、
今回ネットでいろいろ調べているうちにおもしろい事をたくさん発見した。
例えば第一術科学校の住所は【広島県安芸郡江田島町国有無番地】えっ?無番地?
網走番外地みたい〜って思ったのは私だけかなぁ?
転勤先では住民票の住所が船になるってこともあるんだとか。海の上を移動する現住所?
ってことは、免許証も・・・だよね?!それも”無番地”(^^)だわよ。
笑ったのは、船のハッチを抜けられないくらいに太ってしまったら、船を下ろされる・・・とか。

インドネシアに眠っている海軍にいた祖父の導きなのか、大戦の歴史には興味がある。
23歳の頃、鹿児島県知覧の特攻隊の資料館では大泣きしてしまった。
参考館にも多くの遺書が展示されていて、見ないようにしてもやっぱり涙がこぼれてしまう。
一度は行ってみたかった江田島。過去の事実を知ることは大切だと思うんです。
そして、私も頑張らなくっちゃ!という気持ちで江田島を後にしました。
「若鷹は南の空に旅立ちて帰るねぐらは靖国の森」という句を残して旅立った青年は、
ちゃんと靖国に戻ってこれたのかなぁ・・・なんてことを思いながら。