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4.7月25日(日) クスコ(3360m)⇒聖なる谷⇒オヤンタイタンボ(2800m)
★苦しく・・・ない!
目が覚めると、不安だった高山病の自覚症状は一切なく、寝不足と疲れで熟睡していたようで、逆に目覚めはすっきりでした。念のため予防薬を飲み、気持ちのいい中庭で朝食を取りました。身体が高地に慣れたことを確信したのは、前日あんなに苦しかったホテル内の階段を楽に登れた時。チェックアウトのために荷物を持っていたにもかかわらず、全然平気でした。聖なる谷からマチュピチュと、少し低い所へ移動するので、この後数日は疲れとの戦いだけです。

★アンデスの風景
3日後にまた同じホテルに泊まるので、クスコで買ったおみやげなどを積めたバッグをひとつ、ホテルへ預けていくことにしました。いんちき英語でフロントと話をつけているうちに、前日と違い、時間どおりの8:40にバスの迎えがきました。一番最初のピックアップだったようでバスは空っぽ、すかさず一番前の席に陣取りました。2ヶ所のホテルで他のお客さんを乗せ、20名ほどの客を乗せたバスは、最高で3800m近いクスコの外輪山をぐんぐん登り始めました。山の反対側を下り始めると、雰囲気が変わり始めました。遠くの雪を抱いた5000m級の山、山あいの高山植物、時おり放牧されているアルパカ、リャマ、馬、羊の群れなど、アンデスの風景にキョロキョロ。山を下った谷間に流れるウルバンバ川沿いに広がる一帯を聖なる谷といいます。穏やかな気候のおかげで農作物もよく育つそうです。切り立った崖と川の間の平地には畑や集落が点在し、日干しレンガでできた村の家の前には、すぐそばを通る車にも動じず犬やブタが寝そべっていて、のどかな田舎の景色が続きます。川沿いの緑豊かな景色と、周りを取り囲む赤茶けた険しい山々のコントラストが印象的でした。聖なる谷ツアーの一番の見所は、スイスなどとはまた違う、この美しいアンデスの風景かもしれません。

★ピサックの日曜市&ウルバンバ
谷を見下ろす展望所で一ヶ所下車し、10時過ぎにはクスコから約30kmのピサック(2960m)へ到着。この村にも遺跡がありますが、このツアーで訪れるのは火・木・日に立つ市場です。バスを降り細い路地をしばらく行くと市のたつ広場に出ます。私たちはまず市場から一つ入った通りの常設店で、増えたお土産の収納用にバッグを買いました。市場は、観光客用にお土産物を売る店と野菜や果物など露店が半々くらいで、お客さんもやはり観光客と地元の人が半々くらいでした。どこの国も市場は活気があって楽しいもの、買い物をしたり村の路地を覗いたりしているうちにあっという間に1時間の自由時間が過ぎました。そこから約1時間走り、ウルバンバのレストランで昼食です。他の会社の観光バスも立ち寄るので、かなり広いレストランも満員状態。フォルクローレの生演奏がある広い庭を取り囲むように配置されたテラスで、バイキングの昼食です。前菜からデザートまで料理の品数も多く、なかなかおいしかったです。

★オヤンタイタンボ遺跡
ウルバンバから30分ほど、14時前にオヤンタイタンボに着きました。ここはインカ帝国の宿場町、または要塞だったと言われるところです。ガイド氏の説明の後は同行しても別行動してもいいことになり、それぞれが写真などを取りながら遺跡に入りました。2800mまで下りてきてずいぶん楽になったとはいえ、遺跡の上まで続く300段の石段はさすがに息が上がりました。遺跡入り口近くと、石組みの段々畑を登ったところに美しい石組みや建造物の跡が残っていて、村の中には今も使用されている当時の水路があります。前日に見た(破壊か損傷かわかりませんが)石組みだけしか残っていないクスコ近郊の遺跡とは違い、ここで初めてインカの人々の営みを感じました。段々畑はマチュピチュのものと同じ作りで、狭くて急な土地をうまく利用して整然と作ってありました。ここで有名なのは遺跡上部の6個の巨石。倒れることもなくキレイに並んでいます。ひとつの重さがtもあるこの巨石は、対岸の石切り場から運ばれたらしいのですが、この急な斜面をどうやって持ち上げてきたのでしょう。また、遺跡上部からは聖なる谷とウルバンバ川が一望でき、とても気持ちいい風が吹いていました。

★ツアー離団⇒駅へ
クスコ発着の聖なる谷ツアー、オヤンタイタンボ観光の後、行きと違うルートでクスコへ戻るのですが、途中もう一ヶ所、チンチェーロでの下車観光があります。私たちはこの後の観光を放棄してここで離団し、夜の列車でアグアスカリエンテスへ向かうことにしていました。何が起こるかわからないペルー、不規則な日程は避けたほうがいいと思いつつ…@朝一番でマチュピチュ遺跡へ入れるAクスコとマチュピチュの中間地点のここから移動したほうが効率的B少しでも高度の低い所に滞在したい…との理由で、「何とかなるさ」で決めた日程でした。ガイド氏の「時間的にスムーズだったので”特別に”もう一ヶ所ヒミツのスポットへ案内しましょう」の言葉に後ろ髪を引かれつつ、私たちふたりはここでツアー仲間にお別れ。15時過ぎにまずはチケットを買いに、広場から歩いて10分ほどの駅へ向かいました。

★チケットが・・・
小さなチケット売り場と数人分のベンチがあるだけの、オヤンタイタンボ駅。先客はイギリス人と思われる数人のバックパッカーだけ。ここで19:45発のローカル列車のチケットを買い、ゆっくり夕食を取ってアグアスへ入ります。”本日のバックパッカークラスは売り切れました”というチケット売り場の張り紙を見て、(事前にネットで調べた限り、バックパッカークラスの列車はなかったのでは?)と思いましたが…気にせず順番を待つこと10分。売り場のおじさんはスペイン語しか話せませんでしたが、いつしか横に地元のおじさんがいて、通訳をしてくれました。「今日のアグアス行きはここに書いてあるように満席」…と無愛想な売り場のおじさん。19:45の列車にバックパッカークラスはないと思っていた私は、いまいち納得できませんでしたが、詳しく聞いてみると、19:45の列車にはバックパッカークラスの車両とローカル車両があり、旅行者はローカル車両の方には乗れないとのことでした。「少し前にその列車に乗った友達がいる etc…」と思い切りウソを言ってゴネてみましたが、やはりダメ。しかも、帰りはクスコ行きの夕方のヴィスタドームに乗りたかったのですが、往復チケットしか売れないとのこと。最終的に「席が取れる一番早いアグアス行きは翌朝6:40、帰りは翌々日の朝の8:55、これ以外にアグアスへ行く方法はない」と断言されてしまいました。仕方ないので、言われるままに往復チケットを買い、さっそく弟とベンチで作戦会議。その頃にはも20人ほどのバックパッカー達が列を作っていました。彼らもまた同じように途方にくれていました。

★なんとかなるさ
ヨーロッパを貧乏旅行していた頃を思い出しました。アグアスに入れなくなったことはショックでしたが、この程度のハプニングならOKと思う姉…「おまかせします」の弟。「マチュピチュ滞在時間は減るけどその分クスコでゆっくりできるし。なんとかなるさ」と、気を取り直して宿探しをすることにしました。まず駅のホームから入れるペンションに聞いてみると、満室。また緩い坂道を上り村の中心部まで戻るしかありません。そこにバイクの後ろに覆いをかけ座席をつけたモトタクシーが…おもしろそう♪キャスター付きのバッグでは、田舎のデコボコ道は辛いので、1$と吹っかけられましたが、値切るのが面倒臭かったのでそのまま乗りました。中心部の通り沿いにあるいくつかのホスタルを覗いて聞いてみると、どこも満室。弟に荷物の番をさせてひとりで村を歩き回っていると、通りの奥に i マークを発見。カギがかかっていたので、向かいの美術館の入り口にいた、管理人のようなスペイン語しか話せないおじさんに、ボディーランゲージで宿を探していることを伝えました。考え込んだおじさんが言った値段の一番高い所で30sl。怪しい…と思いましたが、他に頼る人はいないと思い、OKと答えると「ついて来い」と手招き。その辺にいた女の子におじさんが声をかけ、その子が私たちを宿まで案内してくれました。怪しげなホスタルに着き、彼女はそこの人に何か言うと、私たちが何かお礼をする間もなく恥ずかしそうに走り去ってしまいました。おじさんも彼女も、何かにつけチップをせがむタイプの人たちではなく、ただの親切でしてくれたです。ホスタルのお兄さんが見せてくれた部屋は広い4人部屋。しかも洗濯物がベッドの上に積まれていました…おじさんにはシャワー付きの部屋と何度も念を押した”つもり”でしたが伝わっていなかったようで、シャワーとトイレは共同でした。値段を確認するとやはりふたりで30sl。トイレもシャワーもすぐ隣だし、寝るだけだから…ということでベッドを確保。もちろん暖房もなく、あまりキレイとは言えない部屋でしたが、窓の外には小川と夕暮れの遺跡が見えていました。

★オヤンタイタンボの夜
若い頃(自爆)によくした、安宿を泊まり歩く行き当たりばったりの旅と違い、今回は”オトナの旅”を計画したのですが、予定外の夜なので仕方ありません。ノーショウで翌日の分までキャンセルされたら困るので、日本からネットで2泊を予約、事前払いしていたアグアスのホテルに連絡をしなければいけません。荷物を置きさっそくバウチャーにあった番号に公衆電話からかけてみましたが、何度かけても「使われておりません」でした。どっちみち翌朝1番の列車でアグアス入りするので、ここでも得意の「なんとかなるさ」。飲み物と翌朝の朝食のフルーツをなどを調達した後、広場の片隅のレストランで夕食を取りました。小さな店でしたが、フォルクローレの流しが演奏に来ました。何度か耳にするうちに覚えた曲もあり、案外楽しめました。クスコより低いとはいえ、ここも2800mの高地。さすがに夜は冷え込み、暖房のない部屋に戻ると少し寒かったので、持参した湯沸し器でホットレモンを作って飲みました。ふたりで30sl(\1000強)の安宿(もちろんもっと安い所もありますが)の悲劇はシャワーの時にやってきました。お湯が少しぬるくて寒そうだなーと思いつつ、まず髪の毛を濡らしたところで、いきなりお湯が水に・・・ボイラーのスイッチのような物があり、注意書きのとおり何度やっても二度とお湯は出てくれませんでした・・・凍えながら髪の毛だけを洗って部屋に戻り、ここで風邪を引いたら最悪なので、トレーナーなどを着込み22:30に就寝。朝が来たらいよいよマチュピチュです。
$浪費メモ
ピサックの市場(バック40sl Tシャツ@15&12sl バレッタ5個+アンデスの人形のバッジ25個入り他50sl) 夕食(2人、チップ込み)45sl 水、ビール12sl 果物2sl(リンゴ2個、アプリコット2個、みかん3個)オヤン⇔アグアス往復列車代@40$ ホスタル(2人)30sl
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1.出発⇒リマ2.リマ3.リマ⇒クスコ(市内)4.聖なる谷・オヤンタイタンボ5.マチュピチュ6.マチュピチュ⇒クスコ
7.クスコ⇒プーノ8.チチカカ湖9フリアカ⇒リマ10.リマ11バジェスタス島&ナスカ12.リマ⇒出国13帰国