++ TOP ++ 旅の計画 ++ 旅の準備 ++ 日程表 ++ 旅行記 ++ アルバム ++ パノラマ&動画 ++ 食べ物 ++ おみやげ ++ 壁紙 ++
7.7月28日(水) クスコ(3360m)⇒ララヤ峠(4335m)⇒プーノ(3855m)
★さよなら、クスコ
5時半に起きてシャワーを浴び、6時半には部屋を出て5歩の中庭で朝食を取りました。プーノ行きの観光バスは8時出発なのですが、この日はペルーの独立記念日で、突然パレードがあったりすると困るので早めに出てくださいと、前夜西河トラベルさんからメッセージが入っていたのです。そこで、フロントに頼んでおいたタクシーで7:20にホテルを出て、バス会社へ。幸い交通規制などはなく、10分もかからないでINKA EXPRESS社に着きました。タクシー代があまりにも安く、運転手のおじさんが親切だったので、倍額払いました。ほどなくして、事務所に電話が入りました。私たちがちゃんと着いているかどうか、西河トラベルさんからの確認の電話だったようで、その心遣いに感心しました。外国でこういう日本人らしいきめ細やかさに触れると、とても嬉しく感じるものです。ほんの3区間のバスの手配をお願いしただけの客ですが、本当に親切に対応して頂き、感謝です。温かい気持ちになったところで、バスは時間どおり8時に出発。座席は指定席で、私たちは左側の一番後ろの席、隣はトイレです。これなら高山病予防薬(利尿剤)を飲んでいても安心(笑)です。バスは2台で、私たちのバスはフランス人、ドイツ人のグループと、中南米人(どこかは不明)親子の19名の乗客に、ガイド氏、サービス係の女性、何だかよくわからない若い男性の3人も乗り込みました。会社に早く着いた私たちの荷物は車体脇の小さなトランクルームに入れてくれましたが、他は屋根の上に載せビニールシートで覆うだけでした。曇り空で肌寒いクスコを後にして、380km離れたプーノまでバスの旅です。

★アンダワイリーヤス(3093m)
1時間ほどで最初の下車観光地、ANDAHUALILLASアンダワイリーヤスに到着。この頃には空はすっかり青空になり、気温も上がってきました。見たところ、田舎の村の広場にある、ごく普通の小さな教会です。ところが中に入ってびっくり。壁や一部木製の梁のある天井にはみごとなフラスコ画、正面には細やかな彫刻で飾られた金色に輝く祭壇。アンデスの山中のこんな小さな村にどうして?と思うほどの装飾が施された素晴らしい教会でした。ペルーで目にするマリア像は独特で、私たちが見慣れた白やブルーのガウンのような服ではなく、赤や青地に金銀の刺繍のある煌びやかな二等辺三角形のシルエットのドレスを着ています。アンデスの文化の影響らしく、質素なイメージのマリア像もここではとても華やかに感じます。

★ラクチー遺跡(3500m) ⇒ シクアニ(3542m)
クスコから121kmにあるRAQCHIラクチーの遺跡に着いたのは10:50。何もないアンデスの田園風景の中に突然現れるこの遺跡は、アンデスの創造神ウィラコチャを奉った太陽の神殿の跡だと言われています。直立する14mの壁は、下から3mほどが石組みになっていて、壁の前には11本柱の基礎の部分が残っています。すぐ脇には、居住区や浴場の跡などもあり、かなり大きな遺跡です。ここを30分ほどで見て、15分走ったらシクアニに着きました。観光客用の休憩所という感じの庭に入ると…いるいる!リャマにアルパカ、ビクーニャまで♪観光客の手から草をもらって食べたり、おチビちゃんは哺乳瓶に入ったミルクまで飲ませてもらっています。その毛はアルパカよりさらに高級で、滅多に見られない希少種ビクーニャ、触るとホントにフワフワでした。ここで15分ほどアンデスの動物達と遊び、すぐ近くのレストランLas Tunasでランチです。ここは他の会社のバスも利用するレストランなのですが、内容としては聖なる谷ツアーの方が断然よかったです。ところでこのレストラン、観光バスが出入りする時以外は門が閉ざされ、その門の外にはポリスが立っていました。ごく普通のアンデスののどかな田舎町だったので、少し違和感がありました。何でこんな厳重にしないといけないの?もしや外務省の危険情報のリストにあった地域?と少し不安になったり。これだけしっかり警備してくれるのなら…と少し安心したり。

★怪しいお兄さんの正体は…
下車観光が終ってバスに戻る度に、乗務員の女性がコカ茶やお水をサービスしてくれます。ところでもう1人のお兄さんは?その彼が私の横にきて、座席のポケットに入れていた”歩き方”を見せてと言いました。「お父さんが載ってんだぁー」と、彼が開いたページはクスコ⇒プーノ間の列車の記事。民族衣装でフォルクローレを歌うおじ様の写真と彼を見比べると…確かにそっくり!音楽一家だそうで、彼が取り出したフォルクローレのCDのジャケットに写っている女性達も、自分のお姉さんや妹だと言います。それまでもレストランなどで、演奏しながらCDを売る人たちに会いましたが、1枚くらい欲しいなと思いつつ買いそびれていました。彼がこのバスに乗り込んでいるのも、そのためだったようです。かなり高くふっかけられましたが、コピーではないオリジナル版だったし、大して値切らず結局4枚も買ってあげました。さらにお父さんが載っている”歩き方”を2枚のCDと交換してと言われました。旅の終わり頃ならあげても良かったのですが、まだ行程の半分…「まだ必要だから」と断わりました。ランチ休憩前の車中で、民族衣装に着替えた彼は数曲を披露。ランチ場所でプーノから来るクスコ行きのバスに乗り換えると言って、私たちの下りて行きました。バス会社と提携しているのでしょうが、なかなか効率的ですね。

★最高地点ララヤ峠(4335m)
クスコから一度3000m近くまで下がった後、3500mほどまで緩やかに上ってきましたが、シクアニを出ると一気に高度が上がってきました。途中、ここにも”温泉”アグアスカリエンテス(4096m)があり、何もない牧草地の真ん中に露天風呂が見えました。この頃からだんだん息苦しくなってきて、ララヤ峠に着いた時は、いくら高地に慣れたとはいえ、再びクスコ到着時のような圧迫感がありました。ここが今回の旅の最高地点、今までの人生でも最高記録です。バスを降りると足元がフワフワしているような気がして、目にも圧力を感じました。空気の薄さや痛いような陽射しの強さもですが、ずっと下から見上げていた、万年雪を抱いた山々(5500m)がすぐ目の前に見えていて、改めて高さを実感しました。

★プカラ遺跡
ララヤから緩やかに下ること1時間40分、最後の下車観光地、プカラ(3879m)に到着です。紀元前後400年間ほどの文化だと言われ、アンデスの遺跡の中で一番古いとされています。遺跡自体には行かず、博物館だけを見学。遺跡から出土した焼き物や像が数多く展示されていました。またこの辺りは焼き物で有名で、遺跡には窯の跡もありました。アンデスの家の屋根の上によく沖縄のシーサーのような乗っています。幸せを呼ぶという素焼きの牛の置物で、ここプカラで作られています。ところでアンデスでよく目にする動物のモチーフといえば、まず、マチュピチュにもあるようにコンドルが思い浮かびますが、同じように神聖な動物とされているのがピューマです。クスコの都もかつてはピューマの形をしていたとか。ここの出土品にもピューマのような動物が描かれた壷や像がありました。

★高原をゆく。
聖なる谷でもそうでしたが、このバスでも車窓の風景が素晴らしく、居眠りもできません。標高4000mといえばとっくに雲の上にいてもおかしくない高度なのに、白い雲はまだもう少し上に見えます。高原といっても萌えるような緑の山ではなく、薄茶色の丘陵地が、何時間走っても延々と続いているのです。時おり小川や畑、質素な家が並ぶ小さな集落、放牧されたリャマやアルパカが見えるくらいで、後はただひたすらどこまでも高くて青いアンデスの空と、荒涼とした大地。この高地の厳しい自然の中での暮らしは、遠い昔からあまり変わっていないのかもしれません。ところで、色彩のない土地だからこそ、あの鮮やかなアンデスの織物や衣装が生まれたのかも…と、インディヘナの人々の日に焼けた顔と、いつも素足で硬くなった足を見ながら思ったりしたのでした。

★プーノ到着
プカラを出て1時間弱で、フリアカ(3825m)を通過しました。とても大きな街で、空港はここにあります。ペルー第二の都市アレキパへの岐路にあり、工業都市だということですが、未舗装の道路が多い街はとても埃っぽく雑然としていました。見るからに治安が悪そうで、空港以外に観光客が立ち寄るような街ではないようです。フリアカを過ぎてしばらくすると、左側に夕暮れの湿地帯が見え隠れするようになりました。チチカカ湖はもうすぐ。プーノ(3855m)には17:40に到着。あらかじめ伝えてある乗客のホテルまで、ちゃんと送り届けてくれます。私たちのホテルは湖沿いで、中心部から少し離れたところだったので、一番最後でした。薄暗くなったプーノの街中を車窓観光です。湖に近い一本道を行けばすぐホテル…のはずが…独立記念日のパレードにぶつかり、大渋滞に巻き込まれてしまいました。カーニバルのような羽飾りをつけた踊り子さんや目いっぱい着飾った子どもたちなどで道は埋め尽くされ、進む気配はありません。そこでドライバーさんが脇道に入ったのが運の尽き。もちろんドライバーもガイド氏も、誰も知らない道です。しばらくすると未舗装で穴だらけのガタガタ道になり、家も灯りもだんだんなくなってきました。乗客2名、乗務員3名、全員沈黙「・・・」。バスがようやく通れるほどの狭い道を大きく揺られながら上ったり下ったりして、やっと通りが見えてきた時は、全員安堵のため息でした。この最後のハプニングで、ホテルに着いたのは結局18時半になっていました。

★ソネスタ・ポサダ・デル・インカ
プーノでのホテルは湖が見えるホテルにしました。ここはプーノで二番目に高いホテルでしたが、そろそろ旅の疲れも溜まる頃だろうし、プーノの高度と体調考えて、少し高くても快適な宿をと思い、ペルーのホテル予約サイトから予約しました。アグアスでの一件もあったため、バウチャーがなかったのが不安でしたが、問題なくチェックインできてひと安心。そしてその場で翌日のチチカカ湖観光のツアーの予約を依頼しました。湖沿いのホテルなのでホテル主催のツアーがあったら…と期待していたのですが、残念ながら独自のツアーはなく、旅行社に電話して手配してくれました。そしてもうひとつ、忘れないうちにリマへ戻る飛行機のリコンファームをお願いし、時間が遅かったので翌朝電話してくれるというので、航空券を預けました。さて、通された2階の部屋に入って大喜び。部屋もベッドも広くてキレイで、窓からは湖とプーノの街の夜景が見えていました。嬉しかったのは広いバスルーム。さすが高級ホテルどこにも給水タンクは見当たらず…これなら安定してお湯も出るなーと、大きなバスタブを見てにやり。しかも洗面台にはアメニティの数々。ビンボー旅行も楽しいですが、たまにはこんな贅沢な気分も味わいたいもの♪天井が高かったので、オイルヒーターひとつで大丈夫かなと思いましたが、幸い寒さは感じませんでした。あまりにも快適なので、夕食も街には出ずホテル内のレストランで済ませることにしました。

★目が店になった夕食
暖炉のある感じのいいレストランで、ウエイターさんは黒服ですが特にかしこまった雰囲気ではなく、料理もピザなどの簡単なものからありました。例によって高度のせいで膨満感がありましたが、私はラザーニャを注文。弟は肉が食べたいと前菜+チョイスできるメインのコース料理。いつもは私がまとめて注文するのですが、私がオーダーした後黒服さんが弟の方へ行ったので、そのまま彼に注文させました。「アルパカがあるよ」「食べてみる?」ということで、メインはアルパカ。のはずだったんですが…ラザーニャを食べ終わった私の前にアルパカが…そして弟の前には別の料理。「え。これってどゆこと?」彼はどうもメニューを見間違ったらしく、コースの下に書いてあった”シェフのお薦め”からもチョイスするものだと思い、メインを2品オーダーしていたのでした。やはりひとりでは何もできぬのかキミは…と姉さんは呆れました…高地では腹八分が鉄則なのに…見ているだけでもお腹いっぱいなのに…大食いの彼はしっかりたいらげました。。。ちなみに、アルパカのお肉は思ったよりクセはなく、豚肉のような感じの食感でした。。居眠りなしの長いバスの旅で疲れていたのか、この夜も睡魔は早くやってきて、22:30にはベッドへ入りました。快適なベッドでぐっすり朝まで熟睡…のはずが…とんでもない夜が待っていました。
$浪費メモ
チップ3$ タクシー4sl(本当は2sl) 教会入場料@4sl ラクチー入場料@5sl CD4枚60$ コーラ(ランチ時)@3sl 夕食(2人で)34.22$
≪ BACK        NEXT ≫
1.出発⇒リマ2.リマ3.リマ⇒クスコ(市内)4.聖なる谷・オヤンタイタンボ5.マチュピチュ6.マチュピチュ⇒クスコ
7.クスコ⇒プーノ8.チチカカ湖9フリアカ⇒リマ10.リマ11バジェスタス島&ナスカ12.リマ⇒出国13帰国