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12.8月2日(月) リマ市内⇒深夜出国
★長い1日の始まり
いよいよペルー最後の朝です。8時過ぎに起きてまずはシャワー浴び、ゆっくり朝食をいただきました。ペンションの清算をするにあたり、予定外のナスカツアーで日本で両替してきたドルが足りなくなりました。日秘会館内にある銀行のひとつで、日本円→ドルの両替ができると聞いていたので、まずは両替に…と、ここで姉の権力を行使。「ひとりで大丈夫でしょ?」旅の間、お財布も全て姉にお任せだった弟は、初めてひとりで出かけました。戻ってきた弟に聞くと、途中で偶然にも救世主ぺぺさんに会ったらしく…紙に書いてもらったそうです >┼○ バタッ そんなわけで無事に清算を済ませ荷物をリビングに下ろし、行動予定を立てました。天野美術館に行くことにしていたのですが、他のゲストさん達にも行きたいという人がいて、一緒に15:30の予約を取ってもらいました。Mさん達と近くのセビッチェリアで一緒にランチを取る約束をして、私たちはそれまで最後のお買い物に出かけることにしました。

★ジョッキープラザ
11時頃ペンションを出て、タクシーで街から少し離れたショッピングセンター”ジョッキープラザ”へ向かいました。いくつかの大型店と小さなショップから成る、日本にもよくある大きなショッピングモールです。米系ブランドのジーンズやスニーカーなど、アウトレット並みの安さでした。物価の安いペルーでは高価なのでしょうが。ここで最後のお土産と、自分の洋服を一着買いました。ずっと欲しかった形のJジャンが、99sl(\3000くらい)と格安でした。また、弟が地図が欲しいというのでずっと探していたのですが、ここの大きな本屋さんでも見つけられませんでした。南半球の地図は日本の物とは逆のはずで、しかも南米となるときっと見慣れない構図だろうと思い、私もぜひ見たかったのですが…ひと通りウインドウショッピングをして、またタクシーでペンションに戻りることにしました。ジョッキープラザに待機しているタクシーに値段を聞くと、15sl。来た時は10slだったといくら言っても「オフィシャルタクシーだから…」と、交渉不可。時間がなかったので仕方なく乗りましたが…往路のタクシーの運転手のお兄さんが「帰る時電話して」と、携帯の番号を渡そうとした意味がわかりました。

★セビッチェ(゚∀゚)=3ウマー♪
ペンションに戻り、14時に長期滞在中のMさん達と5人で近くのセビッチェリアに向かいました。魚介類を専門で出すセビッチェリアは、鮮度が命なので夜は閉まることもあるため、滞在中なかなか行く機会がありませんでした。セビッチェとはペルーの名物料理で、太平洋で捕れた新鮮な魚介類と薄切りの紫タマネギをマリネのようにしたものです。数種類のハーブとレモン汁のシンプルな味付けで、日本人の口にはぴったり。白身魚、イカ、タコ、エビ、どれも新鮮で本当に感激でした。他に頼んだのはクリーミーなソースとシーフードがどっさり載ったピラフと、シーフードスープ。特にスープはモッツァレラチーズが入ったトマトクリーム仕立てで、絶品でした。滞在中どこで食べても「これはちょっと…」というものはありませんでしたが、一番感動したのはこのレストランだったかもしれません。確かにペルーのチキンはおいしいのですが少し食傷気味だったので、新鮮な魚介類に大満足でした。さすがペルー、この3品を5人で頂いてもかなり量が多く、また、時間があまりなかったのでピラフは半分お持ち帰りにしてもらいました。そうそう、ペルーでは食べ残したものを”お持ち帰り”する習慣があるのです。

★天野博物館:ペルーの歴史と土器
ペンションで他のゲストさんも合流し、タクシーを拾い15:30の予約ギリギリに天野美術館へ到着。紀元1000年頃、リマの少し北で栄えたチャンカイ文化の研究者、故天野芳太郎氏が設立した個人の博物館で、ここは必ず見学しようと思っていた所です。期待を裏切らない、本当に素晴らしい博物館でした。予約制になっているのは、日本人の研究員さんなどによるガイドがつくためで、この時は15人ほどの見学者(日本人)がいました。2階の展示室に通され、まずはペルーに栄えた文化や歴史を年表や地図を使って説明してくれます。ペルーの歴史上、一番有名なインカ帝国以前の時代をプレインカ時代と呼んでいます。紀元前1500年のチャビン、紀元前後のティワナコ、ナスカ、チムー、プレインカのモチェ、ワリ、イカなど、13世紀にインカ帝国に統一されるまでに、ペルー各地には紀元前より実に多くの文化が栄えています。恥ずかしながら、私はペルーの歴史=インカ帝国くらいの知識しかありませんでした。あまり研究されていないだけで、ペルーには、世界的に有名なエジプトなどに勝るとも劣らない素晴らしい文明が栄えていたのかもしれません。明らかに東洋人や黒人と思われる人形がありましたが、大航海時代よりもはるか以前、1〜5世紀頃にどうやって交流していたのでしょうか?メインのチャンカイの土器は比較的大人しいデザインの物が多かった気がします。文字のない時代、様々な色や文様で自分たちの生活や文化を表現したのでしょうか、土器の形、柄、色使いは多種多様で、中にはとてもユニークなものもあります。お酒を入れるための土器は特におもしろい形をしています。注ぎ口が2ヶ所あるものがあり、液体を注ぐ時のあの”トクトクトク”という音を楽しんでいたのでは?ということです。お酒を楽しむというのは、昔も今も変わらず…ですね。黒、赤、白などを使った派手な土器が目を引きますが、実は時代と共にシンプルになっているそうです。絢爛豪華な服よりも白いシャツの方が落ち着くもので、その心理は古代からあまり変わらないものなのかもしれません。
 
↑の写真は考古学博物館で撮影した様々な年代の土器で、天野博物館の所蔵品ではありません

★天野博物館:織物
続いて通された隣の展示室は感動でした。そこには古代の織物や装飾品が展示されています。しかもガラスケースではなく、壁や収納ケースの引き出しの中の織物が直に見られるのです。色彩豊かな織物だけではなく、見たこともないほど細やかなレース編みもあって、まず保存状態の良さには驚きました。遺跡の石や土器とは違い、もっと繊細でもっと儚い織物。土に返ることもなく、こうして現代の私たちの目を楽しませてくれるのも、乾燥した気候のおかげです。次に驚いたのは、その技術です。現代でも難しいのでは?と思われるような極細の糸で作られた織物はもちろんですが、ルーペで見てやっと穴がわかるほどのビーズには、見学者一同ため息でした。1mmのビーズ、そしてそこに空いた穴!そのビーズに極細の糸を通してネックレスやイヤリングを作っているのです。1000年、それ以上も昔、これらの物を作っている人々の手を想像すると感慨深いものがありました。プレインカの時代にこのような高度な技術を持った人々がペルーには暮らしてしたのです。ここでもまたピラミッドと同じくらいの不思議を感じました。

→この写真も考古学博物館で撮影した、太平洋沿いのパラカス(バジェスタス島観光の拠点になる町)から出土した帯状の織物です。2000年前の物とは思えないほど、美しい色合いの緻密な織物です。


”貴重なペルーの遺産を誰でも手に取ってみてもらいたい”という故天野芳太郎氏の意向で、このような展示方法を取っているという説明がありましたが、こんなに素晴らしい所蔵品を約1時間かけてガイド付きで、しかも無料で見せてもらえて、本当に感激しました。入場料代わりに、見学後1階の売店で皮製のペン立てを購入しました。

★最後の晩餐
天野博物館でこの旅の予定は全て終了。再びタクシーでペンションに戻りました。部屋はもう無いので、リビングでお茶しながらみんなとおしゃべりをして過ごしました。19:30頃になって小腹がすいてきたので、夕食の買出しにみんなで近くのスーパーへ。ここでペルー料理の本をみつけめくってみたところ、素材別のレシピがたくさん並んでいます。スペイン語ですが料理用語や素材はなんとなくわかったので、帰国後の楽しみに買いました。タキーレ島で食べて気に入っていたキヌアも一袋購入。ペルー最後の食事は、結局スーパーのお惣菜(キッシュなど)で済ませました。私たちと同じ便で帰国するひとり旅の女の子がいて、彼女がすでに予約した車に便乗することにしていたので、後は22時の出発時間を待つだけ。それぞれの旅の話をしたり買った物などを見せ合ったりしているうちに、あっと言う間に時間は過ぎました。海外で日本人宿を利用したのは初めてでしたが、このような交流は楽しいもので、ペルー旅行の基点として当山ペンションを選んで本当に良かったと思います。出発前にみんなで記念撮影をするのがペンションの恒例になっているようですが、この時はぺぺさんが不在で残念でした。記念撮影の後、ゲストのみんなやお母さまに見送ってもらい、22時少し前にペンションを後にし空港へ向かいました。

★搭乗手続きまで
空港内へ入る時も入り口で搭乗券のチェックがあり、搭乗者しかロビー自体に入れないようでした。私たちが乗るアメリカン航空の他にコンチネンタル航空の便もあるらしくごった返していました。この時はまだ22時20分、AA948便は01:30発なので約3時間ありましたが、10個くらいはあるアメリカン航空のカウンターに入るための列にはすでに100人くらいの列ができていました。座席指定はしてあるもののAAのオーバーブッキングは有名なので、多少不安に思いながら3人で列に加わったのですが…列は信じられないくらいのペースでしか進みません。よく見てみると、搭乗手続きのカウンターの前に別のカウンターが並んでいて、そこでもパスポートと搭乗券のチェックなどをしています。その後預ける荷物のX線検査があり、やっとカウンターに辿り着けるという具合で、特に最初のカウンターで時間がかかっているようでした。団体であろうが個人であろうが同じで、最初ははるかに人が多かったコンチネンタルのカウンターにすっかり人がいなくなってもアメリカン側はまだ長蛇の列で、いつしか2時間が過ぎていました。

★麻薬探知犬(のはず
イライラしながら待つ私達を和ませてくれたのが、このわんちゃん。目を光らせている職員さんの足元で、無邪気に尻尾を振りまくっていました。写真を撮ってもいいか尋ねると、ポーズをとらせようとするのですが、本人はかまってもらえるのが嬉しくてリードを噛んで振りまわしたり、ジャレてばかりで全く言うことを聞きません。カウンターの荷物の山の前できちんと仕事をしている子もいましたが、この子のおおらかさに周囲からは失笑が起き、職員さんも苦笑いしていました。

★チェックインカウンターで
ここでの出来事が、この旅で一番の嫌な記憶となりました。前述のとおり搭乗手続きの前に、手前に並んだカウンターで出国カード、パスポート、搭乗券を出します。ここで最悪の職員にあたってしまいました。さすがに麻薬取り締まりの厳しい南米、手荷物について様々な質問をされたました。「何時にどこで誰が荷造りをしたか?」「その後どうやってここまで運んだか?」「他人に荷物を預けなかったか?」など、私の頼りない英語力でもなんとかわかるのですが、スペイン語なまりの強い英語でなかなか聞き取れない質問もありました。だんだんイライラしてきたこの職員、私より発言の少ない弟に目をつけました。全て私が答えているのに、ニコニコして立っている(いかにも日本人ですが)弟にばかり質問し、あからさまに嫌味な態度を取り、席を外してしまいました。先に別のカウンターに行った同行の女の子は2〜3分で通り抜けていったのに、私たちはここで20分ほど待たされた後ようやく解放されました。その後赤外線チェックのためにスーツケースを預け、先に搭乗手続きのカウンターに回りました。今度の職員はとても礼儀正しく、すんなりと搭乗券を手にたのですが…悪夢はまだ続いていました。赤外線チェックを済ませた荷物を引き取ってきて同じカウンターで預けるのですが、検査官にスーツケースを開けろと言われました。過去に経験がないほど失礼な態度で、ぎっしり詰まったスーツケースを隅から隅までひっくり返えされた挙句のひと言。「今度ペルーに来る時はもっと英語を話すようにアドヴァイスする」これにカチンときた私は思わず日本語で悪態をついてしまいました。。。この見せしめのような対応も、先ほどの職員の指示だったのです。搭乗手続きのカウンターの職員の申し訳なさそうな態度だけが救いでした。

★搭乗ゲートへ
やっとカウンターを抜け出国税を支払い出国審査に向かいました。列に並ぶこと2時間、カウンターに入ってから出国審査まで1時間。しかしまだ免税店での最後の買い物が残っていました。すでに出発時刻の01:30を過ぎ、ほとんどの乗客はゲートへ入っていましたが、半ばヤケクソ気味で人気のない免税店へ入りピスコを2本買いました。搭乗ゲートには同行の子が心配そうな顔で待っていて、成り行きを話すと、彼女の方は全く問題なくすんなり入ってきたとのこと。ところが、このゲートでも罠が待っていました。ここでもボディチェックと機内持込みの手荷物の検査があるのですが、私たちは再び全ての荷物をひっくり返されたのです。他の乗客はみんなスルーなのに!気も収まらないうちにこの対応でしたが、その時の私はもう怒りを通り越していました。ポーチの中身のひとつひとつまで取り出して確認する職員を無言で睨みつけていました。

★ばいばい、ペルー
ゲートへは2時頃入ったのですが出発は更に遅れ、空港へ到着してから5時間近く経った明け方の3時に離陸しました。二週間のふたり旅、そして最後の長い1日の後のこの出来事のせいで、機内へ入った時は本当にヘトヘトになっていました。感傷に浸る間もなく、離陸後は死んだように眠り込んでしまいました。長い空の旅は始まったばかりなのに…です。
$浪費メモ
チップ5$ タクシー(ジョッキープラザ往復)10sl・15sl Gジャン99sl おみやげ(TATOO)229sl
昼食(割り勘2人分)40sl タクシー(天野美術館)5sl×2 ペン立て30slくらい?(天野美術館) スーパー(夕食+本+キヌアなど)50sl タクシー(空港 割り勘2人分)6$ 空港税@28$ ピスコ18.65$
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1.出発⇒リマ2.リマ3.リマ⇒クスコ(市内)4.聖なる谷・オヤンタイタンボ5.マチュピチュ6.マチュピチュ⇒クスコ
7.クスコ⇒プーノ8.チチカカ湖9フリアカ⇒リマ10.リマ11バジェスタス島&ナスカ12.リマ⇒出国13帰国